私が名児耶さんと始めて出会ったのは2002年のフライフイッシングフェスタに上京した時でした。 以前から友人の川野さんからお話は伺っていましたが、実際にお会いするのはこの時がはじめてです。
田舎に住んでいる都合毎年のティムコのカタログを見たり、釣り雑誌の記事を見たりで名児耶さんの存在は知っておりましたが、お髭の具合もよろしく、ちょっと恐そうなお方かな?という印象とは大違い、とても気さくで明るく、温厚な性格の方だとということがスグにわかってホッとした次第でした。
フェスタ会場に着くやいなや、眼の輝きが増し、嬉しさで一杯の表情で車椅子をこぎ、まさに水を得た魚という表現がぴったりのひと時であったと思います。
50歳を過ぎても憧れの人にサインを貰ったよ(ジョアンウルフ)と話す名児耶さんに生活に終われ釣りに対する感覚さえ麻痺しつつある自分はちょっと嫉妬を憶えた様な気もします。
いい意味そんな子供の様な(失礼)心で釣りをしていた、釣りを始めた頃の無心な自分を思い出してみたりもしました。私にとってそんな気にさせてくれる人それが名児耶さんです。
残念ながら再起川デビューにお付き合いできませんでしたが。
じっくりゆっくり、リハビリして下さい。釣りやすい川はもう見つけてありますよ。
いい時期にまた行きましょう。 川と自然は少しのことではそう変わらずにいつまでも名児耶さんが来られる時のペースで待っています。
いわき在住 佐藤彰恭
ここ3年での名児耶さんの変化です。
最初の写真 2002年フェスタにて(さとう沿岸さんと)
翌2003年フェスタにて。(デモタイイング復活)
そして2004年 (ついに渓流復活!)
病気とは一進一退の繰り返しです。しかし、少しずつでも良くなっている事が
写真からわかると思います。来年は更に良くなる事を願っています。
川野
弦馬です。

私が名児耶さんの事を知ったのは・・・
2002年9月頃だったと思います。
恥ずかしながら、友人の川野さんのメールではじめて氏の存在を知りました。
わたしはこの場にそぐわぬほど、フライフィッシングという釣りが大好きな癖に、その方面の知識には
全く疎いのですいません。
川野さんから名児耶さんを渓流に帰したいのだけれど、、、どうだろう? 手伝って貰えるだろうか?
という相談が最初にありました。
「もちろんいいですよ、絶対実現させましょう!」 メールで即座にそう返信したのを覚えています。
友人がこれほど心をくだく人の笑顔を、私もみて見たかったのです。
渓流復帰実現に向けていろいろな計画を立て、クラブのみんなとひとつひとつ準備を進めて行く中、
名児耶さんとはその打ち合わせメールの中で、お付き合いがはじまりました。
2004年6月5日(土)快晴
名児耶さん渓流復活オフ実施!
協力していただいたみんなのおかげでやっとそれは実現しました。
はじめましての印象は・・・
やさしい笑顔の純真なおじいさん、と言った感じですが、実はそんなにお歳ではありません。
名児耶さんは実は私と同じ51歳、、、そして同じ糖尿という病仲間でもあってかすぐに意気投合
全く初めて会った気がしませんでした。
結果は復帰初戦にもかかわらず、最後の最後、、、もうここがダメならお終いという
そんなポイントで見事にネイティブ岩魚を掛けるという奇跡の逆転劇で幕を閉じることができました。
(参照)http://b-art.web.infoseek.co.jp/chohraku/cyohraku.htm
その場にいた全員が満面の笑顔で祝福していたシーンは私の生涯の宝になると思います。
そしてそれは、全員が名児耶さんから何かを貰った瞬間でもありました。
今回のプロジェクトの成功を祈らずにはいられません。
皆様のご参加をよろしくお願い致します。
事務局長の川野です。
私の名児耶さんとの出会いを紹介します。
2002年9月の事でした。
「三階西病棟【359】号室です。お間違えなく(笑)
それからお見舞い関係はいっさいご遠慮しますので。
持ってきてもうけとりたせんので。その替わりって言うのも変ですが、
巷のフイッシング事情を聞かせてください。おねがいします」。
間違えないでのメールにも迷子になってしまった清瀬の巨大な病院。
新潟で今期最後の釣りを予定していたがこのメールを読んで
無性に名児耶浩史さんと会ってみたくなりました。
会ってみて想像の通りのお人柄。あ、フェロモンいや、パーフェクトダン
の名児耶浩史さんだなと。
その後転院されて外出許可をもらい横浜のフェスタにも。
翌年(昨年はデモタイイングまでこなしましたよ!)
そして私は名児耶さんに3つの宝物を頂きました。

一つはボビン。プロタイヤーが使用していた糸通しの要らないすぐれもの。
二つ目は入院中にリハビリで作られたフライ。タコフライは泣かせますよ・・

そして、三つめは、名児耶さんが渓流復活された事。
会う度に「リハビリ頑張って!」と人々は言いますが、本人は皆さんの言う以上に
頑張っているのです。少しはわかってくださいね。
だから少しだけ、お手伝いしましょう。ね、少しだけ (^^)
(RHOTO&TEXT by KAWANO)
渡辺隆です。
この度、分不相応にも、このプロジェクトの「代表」を勤めることになりました。
年齢こそ、とうに熟年に達していますが、様々な点で、いまだ「若輩者」です。
行き届かぬ点も多々あろうかと思いますが、よろしくお願い申し上げます。
名児耶さんとは、20年来の付き合いになります。
お互い「フライタイヤー」を主たる生業にしてきたこともあり、
感覚的には、『同志』という言葉が、まさにピッタリの間柄です。
また、私の母が昨年脳梗塞を患い、現在、名児耶さんと
同じような状況にあります。
そんな関係で、名児耶さんのことが他人事とは思えず、
率先して「代表(職)」を引き受けさせて頂きました。
なお、この度、8月30日、三井住友銀行下北沢支店に
『ナゴヤヒロシ復活支援プロジェクト 渡辺隆』
名義の口座を開設いたしました。口座番号は
1395599。今後の活動資金のための受け皿として活用してまいります。
酷暑だった今年の夏も、あっという間に過ぎ去ってしまい、
そろそろ禁漁期ですね。
今年のワタシは山形寒河江川と静岡の狩野川の2回のみ。
年々釣行回数が減るのも、また良きモノかな。
(PHOTO&TEXT by WATANABE)
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by nagoya-fukkatsu
| 2004-09-03 10:37
顧問の方々を含めた主要メンバーが決りました。
顧 問 (五十音順)
●内海博信(福島県いわき市在住/グラフィックデザイナー)
●岡田裕師(愛知県名古屋市在住/フライ・インストラクター)
●久野康弘(千葉県我孫子市在住/「アクアビット」主宰)
●小林利光(東京都武蔵野市在住/会社員)
●齋藤利也(東京都北区在住/コピーライター)
●佐藤彰恭(福島県いわき市在住/会社員)
●清水一郎(埼玉県八潮市在住/フライ・インストラクター)
●杉坂研治(愛知県岡崎市在住/フライ・インストラクター)
●根本晴一(東京都江東区在住/エンジニア)
●東 豊彦(東京都八王子市在住/ビジネス・デザイナー)
●藤崎俊一(東京都江東区在住/会社員)
●望月和美(埼玉県志木市在住/フライ・インストラクター)
ちなみに発起人4名は以下の通りです。
代 表 :渡辺 隆(東京都世田谷区在住/会社役員)
事務局長 :川野陽一(千葉県野田市在住/自営業)
幹事(長):増沢信二(東京都町田市在住/自由業)
幹 事 :村石 俊(埼玉県さいたま市在住/自営業)
全員が“水面下”で活動し、そしてそれなりの成果を──。
(優れた)ウエットフライのようにです。
下水中写真のフライは、ウエットの名鉤「ピーターロス」。
ウイングにまとわりついた空気膜が陽光を反射し、著しく煌めいています。
外界で観る姿とは全く違いますネ。
『水面下で光り輝く』──。
全員、こんなカンジを目指したいと思っています。
(PHOTO&TEXT by Masuzawa)
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by NAGOYA-FUKKATSU
| 2004-08-30 10:08
本プロジェクトの主要メンバーが(ほぼ)決りました。
名児耶さんの友人もいれば、フライ界で活躍されている面々もいます。
また、『NAGOYA復活支援プロジェクト』名義の銀行口座も開設しました。
いわば
『発芽』段階といったところで。
下記写真は、エダマメの発芽。ちょうど2ヶ月前の状態。

当方(増沢)、2年前から“農業ごっこ(※家庭菜園ともいう)”に
ハマってまして(フライ以上に)、いずれは「農業ごっこマニュアル」なる
著書でも上梓したろと“画策”してます(フライ関係の著書よりは、まあ
売れるハズ…と皮算用しながら)。
下記写真は、数日前の段階。結構、たわわに実ってます。昨日、ほとんど
当方の胃の腑に納まってしまいましたが──。

無農薬・無肥料で、こんなに実りました。
そんなモンより、『太陽』と『土壌』、それに『(愛)情』のほうが
はるかに重要なんだそうで。
近所に住む農家のオジサン(=土地成り金)にそう言われました。
そのオジサンとこの畑、肥料と農薬をたっぷりほどこしてるんですけど。
“愛情なんかもう湧かねえからな。ハハハハハ”だそうで。
ちなみに、無農薬だと、やっぱり昆虫類の食害はくらいます。
7月中は、マメコガネ(下写真)がすごかった!

このマメコガネ、そもそもは日本固有種(英名:Japanese Beatle)。
名称通り「豆科」の葉っぱが大好物。
20世紀初頭に“誤って”米国に渡ってしまい大繁殖。農民は悲鳴をあげ連邦政府まで乗り出す深刻な事態に(
“そんな大げさな”と当初は思っていたんですが、自らがその被害を食らって大いに納得。一匹のマメコガネ、体長1㎝程度の小型種ながら、1日で1本のエダマメを“丸ハダカ”にしかねないほどの大食漢)。
その一方、このマメコガネの大繁殖に喜んだのが大穀倉地帯を流れる河川に棲む鱒たちとフライフィッシャー連。米国では20世紀中頃から、多くのビートルパターンが生まれましたが、そのモデルの大半はこのマメコガネ。米国行って“活躍”したワケですからエールを贈りたい気分で。ま、野茂サンやイチローさんほどじゃあないにしても──。

ちなみに、最近やたらに葉っぱを荒らすのはカメムシ類。飛来数もかなりのもの。
柿の実が色付く頃までが活動期で、これからますます増加。
晩夏から秋にかけては、「カメムシ・パターン」のほうが、ホッパー系なんぞより重要にして釣果も上がるハズと思ってますが。「フライの機能性」なる観点に基づくと。あのドデカく硬めのホッパー・パターン、少なくとも日本の平均的な鱒類を相手にするには、フッキング性能に難点アリと感じますけど、いかがなもので?
なお、主要メンバーのリストは近々、公開いたします。
(PHOTO&TEXT by Masuzawa)
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by nagoya-fukkatsu
| 2004-08-29 06:56
名児耶さん、早速の投稿、ありがとさんでございます。
ちなみに、名児耶さんのHPは下記の通り。
http://futureflies.web.infoseek.co.jp/
しかし、「ひまわり」って花は悪くないですねえ。
“ナニがどう”ってわけじゃあないですけど、
ひたすら『明るい』のは確か(間違ってもお葬式には使われないハズ)。
ついでにデカイ。
花粉の量も半端じゃあないようで、ミツバチも身体中、花粉だらけ。
後脚や頭部&胸部を覆っている黄色粉はみな花粉ナリ。
ま、持ちつ持たれつの典型的な関係ではあります。
(PHOTO&TEXT by Masuzawa)
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by nagoya-fukkatsu
| 2004-08-22 11:40
フライフィッシング界で長年にわたって活躍してこられた名児耶浩史さんは、
3年前に脳硬塞で倒れました。
現在も右半身に麻痺が残り、車椅子生活を余儀なくされています。とはいえ、
日常的なリハビリを繰り返しながらも、ひじょうに明るく前向きに日々を過さ
れており、その姿は感動的ですらあります。
名児耶さんの願いは、ひとつに、むろんご自身の『完全復活』。
次に、『車椅子生活を余儀なくされている方々にフライフィッシングをぜひ
楽しんでいただきたい!』です。
本年6月、名児耶さんは車椅子を駆って福島県の渓流に出向きました。
多くの仲間たちのサポートによるものです(※ちなみにその模様は今月発売の
「フライフィッシャー誌」にレポート)。

そこで、小振りながらも美しいイワナを自身の手で見事に釣り上げることが
できました。病に倒れて以来、ほぼ完全に諦めていたフライフィッシングが
できた喜びとともに、3年ぶりに出会えた渓流魚を手にして、全身が打ち震え
たそうです。
その経験を踏まえて名児耶さんが感じたことは、フライフィッシングが運動
面、精神面で、たいへんリハビリ効果が高いということでした。そしてそれ以上
に、自然の中に身をおくことが、いかに心身に安らぎと癒し効果をもたらして
くれるものかを痛感したそうです。
『病に倒れたからこそ、その点に気付くことができたわけで、そういう点では、
病に感謝すらしたい気分です』と名児耶さん。
「人間万事塞翁が馬」といいますが、その境地にはなかなかに…。

本プロジェクトは、名児耶さん自身はもとより、氏の活動を、
“のんびり&ゆっくり”支えていくことを主眼に結成されたものです。
発起人は以下の4名。
代 表 :渡辺 隆(東京都世田谷区在住)
事務局長 :川野陽一(千葉県野田市在住)
幹事(長):増沢信二(東京都町田市在住)
幹 事 :村石 俊(埼玉県さいたま市在住)
今後、多くの方々のご参加を募り、プロジェクト自体の充実はもとより、
幅広い活動を推進していく所存です。むろん“のんびり&ゆっくり”ついでに
“無理なく気負いすぎることなく”ですが──。
その第一弾としまして、現在、某テレビ局に、名児耶さんの闘病&リハビリ
生活を題材にしたドキュメンタリー番組企画を提案しています。
むろん“ダメ元”。とはいえ、実現できたら『乾杯モノ』。
皆さんも、そうなることを神仏菩薩ならびに御先祖様などに祈願して下されば
それに勝る喜びはございません。何とぞ、よろしく──。
乱筆・乱文ご容赦のほど。